ライブ&レポート:Jeanさまワークショップの思い出など。

Mar. 27, 2005
posted by moriy

Jean Butler Workshop in Japan
2004年10月29日〜31日、11月6日@東京

29日のレセプションの話はNewsページに書きましたが、基本的にはあいさつと飲み会。ギネスとおいしい料理をいただきました。帰る時にはBAILEY'Sの200mlビンをおみやげに。

30日は恵比寿のレンタルスタジオに集合。11:00〜12:30はレクチャーということで、IACJのみなさんがスタジオの中でプロジェクターのセッティングをしてらっしゃいました。何度でも書きますけど、この企画を実現まで持ってきた関係者のみなさんの努力というのは並大抵ではないと思います。ただただ感謝。

そして、ジーンさまの登場。

「オハヨー!」

一同大拍手。

「イチ、ニ、サン?」

どよめく一同「おー」

なんかしらんがウケますね。

参加者約40名は体育座りでスクリーンを囲みます。その姿勢で見るとなおさらなんですが、ジーンさまはほんと背の高い人ですね。ジーンさまはスクリーンの脇に小さな椅子を置いてそこに座ります。

ペーパーバックの本(『The History of Irish Dance』だったかな?)を取り出し、今回のスタジオがフラメンコスタジオであることにちなんで、フラメンコとコネマラのアイリッシュダンスのつながりのくだりを朗読。

ジーンさま、アイリッシュダンスの前にバレエを2年くらいやっていたそうです。ただ、赤毛の髪で、そばかすの肌で、その当時からのっぽだった自分が、スヌーピーのキャラクターがプリントされた緑色の服を着て(^_^;)、ブロンドのかわいい女の子のなかにいるということがたまらなくいやだったそうで。

その後Michael Flatleyの師匠でもある(世代が違うので当時は接点なかったみたいですが)Donny Goldenに入門。「彼はダンスを愛することを教えてくれた。『競技会で勝つこと』を愛するのではなくてね」

14〜15歳ごろの練習はすさまじく、月曜から金曜まで毎日、夜の9時から深夜の2時まで。そして週末は競技会、という生活だったとか。

競技会で審査の基準になるのは

  • Timing, Rhythm(タイミング・リズム)
  • Foot Placement(足の位置)
  • Stage Appearance(見た目・アピール)

ということになっているそうなんですが、当時の競技会は非常に「Political(政治的)」で、何よりアイルランド・イギリスが中心だったとか(政治的、という話はいまだに聞きます)。彼女が言うにはアメリカ人のダンスはWildだと思われていて(ましてやオーストラリアなどは推して知るべし)認められることはなかった、と。彼女が世界選手権で3位になったのはアメリカ人としては最初のことで、たいへんな快挙だったみたいですね。

コンペ生活を卒業した後は、アルタンCherish the Ladies、そしてChieftainsなどと共演。特に自分の倍以上の年齢のメンバーであるチーフタンズとのツアーはプロフェッショナルとして、「人前で踊る」ということを教えてくれたといいます。(参考:『The Cheftains "An Irish Evening"』ビデオ紹介

ロンドンの大学でTheaterを学んでいたころ、Colin Dunneと出会います。「Colinは10回も世界チャンピオンになったのよ・・・まあColinはイギリス人だからね(笑)」

『Dancing on Dangerous Ground』の話をする時もそうですが、Colinさんとはほんとうに仲がいいみたいですね。ある程度お互いに「シャレが通じる」間柄のような語り口でした。

その後は『a Journey』ビデオで語られるような話をなぞりながらRiverdanceの話題へ。

「『Countess Cathleen』でモスクワバレエの面々と共演するのはとても不安だった。「アイリッシュダンス」という(マイナーな)ダンススタイルが、バレエに対抗できるとは思っていなかったから」

Susanさんインタビューで「手の動きはバレエダンサーのアドバイスを受けながら工夫している」という話があったので、「あなたの場合はどうだったんですか?」と聞いたところ、Jeanさまは手の振りも自分で考えたとおっしゃってました。

異なるダンススタイルや音楽とのコラボレーションの例として、DODGでのタンゴのリズムでのダンス(『Fate brings Diarmuid and Grania together』)の映像。ダンナさんがいたからかどうかわかりませんが、すごくテレながら見ていましたね。(参考:『DODG』DVDレビュー

Newsにも書いたように、『Dangerous Ground』 は生音をマイクで拾っていたという話や、リバーダンスのダブリン版のような片方の肩にしかストラップのないドレスは着替えが大変、というような現場の話も聞かせてくれました。

「アイリッシュダンスを現在のような形に変えたのは結局RDの制作チーム(Moya Dohertyなど)ということか」という質問には、「アイリッシュダンスを変えてきたのはMichael Flatley、Colin Dunne、自分、そしてMark Howard(Trinity Irish Dance Company)」だと。Riverdanceは自分たちのようなクリエイターに、創造のプラットフォームを作ってくれたんだ、という言い方をしていました。付け加えて、しかしその前にもChieftainsという小さめのプラットフォームがあったんですよ、と。


さてお待ちかね午後の実技であります。

まずはストレッチ。ところどころ、日本でも人気のピラーティスっぽい動きが入ります。

「Breathe!(息して!)」

という声が飛ぶと、笑い声と呼吸音。みんな緊張して呼吸を忘れてしまいがちです。「呼吸はとても大事です。わたしもそれに気づいたのは最近のことですけれど」

続いてその場でジャンプ・ランニングなどしながら体を温めます。

立つ練習。足裏のボール部分で接地する感覚を繰り返し確認します。

歩く練習。「歩けない人が踊れるわけないわよね」ということで、床に色の付いたビニールテープをまっすぐ貼り、それに沿って、足をターンアウトした状態をキープしつつ、一歩ずつ歩きます。

「次は走りましょう」ビニールテープの上でhop 1 2 3。Riverdanceの『Reel around the Sun』で、Troupeが退場するところのステップとかもやりました。

これ以降、翌日まで各クラスで基礎練習+4エイトくらいの振りという形で進みました。ステップを全部憶えているわけでもないので羅列はしませんが、面白いと思ったのは、ひとつのベースとなる振りに対して、オプションをいっぱいつけてくれること。

ある振りについて「こうですか?」と確認を求めると、「そうね、でもこうしてもいいし、こういうのができればこうでもいいし、こんなやり方もあるわね」という感じ。(そういう調子だから元の振りを忘れちゃったのかも知れない(^_^;))

これもNewsのページに書いたことですが、今回のワークショップで彼女が伝えようとしていたのは、「same thing!」と言うことなのではないかと思ってます。

ベーシックのステップも高度なステップも、根本的には同じコトなんだと。ただボールで着地していたものをヒールで着地するとか、クリックを足してみるとか、要素の組み合わせがいろいろあるだけで、ベーシックにあるものを変えているわけではないと。

だから、立てる人は歩けるはずだし、歩ける人は踊れるはず。立ったり歩いたりするのと同じくらいふつうの感覚で、ターンアウトして、ポイントして、トレブルできるようになれば、アイリッシュダンスで表現することはごく自然なことになる。

・・・まあ、練習しろってことですな(^_^;)。

大阪でもきつそうだったみたいですが、翌週末の追加レッスンでもジーンさま後半ぐったりしてらっしゃいましたね。体調がすぐれない中、1日3クラスとかやって、その間ずっとニコニコして、みんなを盛り上げて、気を遣っていたわけですから、相当疲れたと思いますよ(それをフォローするスタッフのみなさんもお疲れさまでした)。

でもあのジーンさまに自分のステップを見てもらえて(合計してもほんの数分ですけど)、たまに「Good rhythm!」とか言ってもらえるだけで、「この先まだまだダンス続けよう!」って気合いが入ります。ぜひまた来て欲しいです。

参考リンク:
  • DANCE MAGAZINE(2005年3月号にワークショップのことがちょこっと書いてあります)
レポートお待ちしてます
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