Airオリジナル企画:Susan Ginnetyインタビュー

Feb. 1, 2004
posted by moriy
企画・インタビュー:トントンさん、moriy
通訳:吉村恒さん
一次翻訳:moriy
訳文チェック:トントンさん
Special thanks to:Susan Ginnety
Sinead, webmaster of Riverdance Official Website
Bernadette, webmaster of The Celtic Cafe
Read in English :http://www.celticcafe.com/Dance/SusanGinnety/index.htm

Susan Ginnetyインタビュー
2003年11月13日@帝国ホテル

伝説のユーロビジョン以来、Riverdanceの舞台に立ち続けている女性ダンサー、Susan Ginnetyさんに、日本公演の合間の時間をいただいて、Riverdanceと共に歩んできた約10年間について語っていただきました。


生年月日を教えていただけますか?

「1978年の4月27日。だからいま25歳です」

まずあなたのダンサーとしてのキャリアについてうかがいます。ダンスを始めたのはいつですか?

Susan Ginnety 「ダンスを始めたのは6歳の時。母も祖母もダンスをしていました。母はホントはダンスが好きじゃなかったんですけど、祖母は大好きでした。初等教育のカリキュラムにもアイリッシュダンスは入っていましたし、放課後の部活動(強制じゃなくて自由参加)でもやっていました」

地域や全国での競技会で何度も入賞していますよね?

「ええ、そういう競技会のことをFeisっていうんですけどね。Leinster(アイルランドの東南部)の競技会で1位になって、全アイルランドでも1位、世界選手権では2位に入賞しました」
(訳注:世界選手権大会25周年記念ビデオでは、2位受賞の時の映像を見ることができます)

どういった経緯で1994年のユーロビジョン・ソングコンテストのインターバルアクト(訳注:『Riverdance』がはじめて上演された。詳細は『a journey』ビデオのページで)に参加することになったんですか?

「ユーロビジョンのプロデューサーたちは、ユーロビジョン・ソングコンテストのインターバルアクトにアイリッシュダンスを使おうと考えていたんです。ただ、伝統的なスタイルではなく、多少現代風に味付けをして見せようとしていたんです。そして彼らはダブリンにある有名なダンススクールをまわり、各スクールから何人かを選んでオーディションを受けさせました。私もそのオーディションを受けて、合格したんです」

ユーロビジョンではダンサーは何人いたんですか?

「ユーロビジョンでは・・・たしか26人だったかな」

そのダンサーのうち、全員が翌年『Riverdance』が舞台化されたときのカンパニーに参加したわけではないですよね?

「全員ではないですね。その後舞台化されるとは誰も考えていなくて、ほとんどの人は1曲だけ、1日だけのイベントだと思ってましたから、ほかに仕事や学校のあった人はそんなに長い期間このショーに関わるわけにはいかなかったんです」

舞台化に際しては再度オーディションが行われたんですか?

「いえ、カンパニーができたとき、ユーロビジョンに参加していた私たちはそのままカンパニーに組み込まれて、残りのダンサーがオーディションで選ばれたんです」

そういった大きなカンパニーに参加するのは、あなただけではなくすべてのダンサーにとって大きな挑戦だったと思うのですが。

「ええ、もちろん。Riverdanceのような舞台はそれまでありませんでしたから、どうなるか誰もわかりませんでしたし、私たちもまだとても若かったですし。私はそのとき16歳でした。ですから私にとって、そういう大きなショーに参加することだけでなく、その年齢で家を離れるということも大きな一歩だったんです」

あるインタビューでEileen Martinが言っていましたが、あなた方はMichael Flatleyとたいへんハードな練習を繰り返したそうですね。それはどんな感じでしたか?

「最初は、そうですね、まずショーの形をつくるために(そんなに多くのダンサーがステージに上がったときどうなるのか実際のところわかりませんでしたから)、何度もリハーサルをしました。新しいダンスを生み出すためにとても長い時間をかけましたね。でもそのダンスがうまくいかないとなると、私たちはそれを捨てて、また最初からやり直しました。ですからリハーサルの回数は非常に多かったですね。脚がとても痛くなりましたけれど、結局は慣れてしまいました」

それはダンサーにとって忘れ得ない、貴重な経験だったのでは?

「ええ、とっても。特にユーロビジョンは素晴らしい経験でした。まだ誰も見たことがないものを見せるわけですから、観客がどんな反応を示すか不安でしたが、踊り終えたとき、お客さんはとても喜んでくれました」

その頃のことでなにか面白いエピソードはありませんか?

「うーん、毎日リハーサルばっかりでしたからね。疲れきって帰るとき、とりあえずバス停まで歩いて、座席に座って一息ついて、そのまま座りっぱなし。家に着くとすぐお風呂、そのままベッドに直行。翌朝目が覚めたらリハーサル、そしてお風呂、ベッド。ほかには何にもできませんでした。でもそれでみんなが仲良くなって、大きな家族みたいになれたので楽しかったですよ。お互いのことをよくわかっているから、ツアーに出ることもそんなにストレスじゃなかったんです」

来年(2004年)はユーロビジョンから10年ですね。過去10年を振り返ると、アイリッシュダンス界は大きく変わったと思うのですが。

「ええ、本当にその通りです」

それをどう思われますか?

「とてもいいことだと思います。わたしが10代のころは、アイリッシュダンスはあんまりかっこいいことではありませんでしたから」

地域的な伝統文化のような・・・

「そう、ちょっと古くさいものだと思われていて、あまりみんながやりたがるようなものではありませんでした。Riverdanceがアイリッシュダンスのいい面、例えばその楽しさとか、とてもたくさんの人に会えるとか、チャンスにつながるというような面を引き出してくれたんです。それだけではなく、Riverdanceの影響を受けてほかにも多くのショーが現れたことで、いままでは趣味の範疇だったダンスを職業として考えられるようになりました。
私たちはダンスが好きなんです。6歳の頃から踊っていて、いまでも踊り続けています。競技ダンスをやっているひとの多くは、18歳か19歳くらいでダンスをやめてしまうのが普通だったんです。でもいまは、その年齢まで競技会に出たあとも、自分が望めばプロになる道もあるんです。Riverdanceのおかげで、私たちにいろんな道が開けたんです」

あなたは現在アンダースタディ(訳注:プリンシパルダンサーの次席・代役。リバーダンスの場合マチネは通常アンダースタディがリードを務める)として踊っていますね。アンダースタディになったのはいつですか?

「ずいぶん前ですね・・・JeanとMichaelがリードを務めていた、ほとんど始まったばかりの頃に、アンダースタディとしての練習を始めました」

ダブリン公演のころですか? それともロンドン公演のころ?

「ずいぶんリハーサルをこなしていましたから、たぶん、最初にリードを踊ったのはロンドンだったと思います」

昼の公演ではリードを務め、同じ日の夜公演ではダンストゥループの一員として踊ることがありますね。そのふたつには大きな違いがあると思うのですが?

「ええ、ひとりで(リードとして)ステージに上がるときには、自分自身を表現できますからね。それはとても素晴らしいことです。でも、トゥループの一員として一列に並んで踊るのも楽しいです。あのラインダンスほど力強さを表現するものはありません。2人のプリンシパルがいなければショーは成り立ちませんが、あのラインダンスがなくてもやっぱりショーは成り立たないんです。

アンダースタディになって9年目くらいですけれど、ショーを見に来ているお客さんにとってはその日が最初に見るステージですから、私たちもはじめてのステージのような気持ちでパフォーマンスをしなければなりません。つねにエネルギーを出していかなければならないんです」

あなたはリードダンサーとして、多くの男性ダンサーとペアを組むわけですが、それぞれ個性やクセを持ったダンサーと踊るとき、どのようにしてお互いの息を合わせていくのですか?

「ステージに上がる前に何度も一緒に練習するだけですね。今回(2003年秋の来日ツアー)はJoe Moriatyとペアを組んでますけど、ブロードウェイ(2000〜2001年)公演の頃、彼にアンダースタディのパートを教えましたから、私との息はぴったりですね。ほかのダンサー、たとえばDonnacha Howardとは長い間同じカンパニーにいましたから、お互いのダンススタイルもわかっています。それにくわえてリハーサルもしますしね。振り付けは別々に作り上げてきたんですけれど、お互いのダンススタイルがわかっているから合わせられるんですよ」

アンダースタディはプリンシパルの影響を強く受けると思うのですが。

「そうですね。いままでJean(Butler)、Eileen(Martin)、Joanne(Doyle)と踊ってきましたが、みんなそれぞれのスタイルを持っていました。彼女たち各々のスタイルは、わたしが自分のスタイルを作っていく上で参考になるので、(彼女たちの)異なるダンススタイルを見るのは、とてもいい経験なんです。私たちはみんな、まったく違うアイリッシュダンスのスタイルを持っているので、それが(Riverdanceのリードのダンススタイルに)バラエティの豊かさをもたらしているのはいいことだと思います」

ダンススタイルの融合というか。

「そうです。私はいつもステージでのJoanneを見ているのですが、特に頭の動きや表情の付け方に注目していて、自分でも同じようにやってみるんです」

腕の動きはアイリッシュダンスにはあまりなかったことですよね?

「つい最近のことですね。ふつう腕はまっすぐ下ろしたままですから。たとえば競技会では、腕を動かしたらそこでおしまいです。私が小さい頃は、手をしっかり握っておくために、ママたちが私の手にコインを握らせてました。そうすればコインを落とさないようにしっかり握っておくでしょう? いまはアイリッシュダンスの衣装に仕掛けがついてるみたいですけどね。(訳注:衣装自体に、腕を固定する仕掛けがついているものがある)

そんなわけで、ダンスの中で腕を使うことを知らずに来たので、私たちはロシアンダンサーたちにバレエでの腕の使い方(ポール・ドゥ・ブラ)を教えてもらっているんです。これはホントにすごい経験でした。まったくはじめてのことでしたからね!」

そこから腕の動きを学んで、自分のスタイルを作っていったわけですね?

「ええ、ロシアンダンサーのみんなが毎晩私たちの動きを見て、あとで直してくれるんです。そういう(バレエ的な)動きに関しては彼らは何年も学んできていて、私たちは知らないわけですから。こういう経験ができるのもRiverdanceのいいところですね」

あなたの好きな、または自信を持っているダンススタイルは?

「個人的にはソフトシューズで踊るlight dancingが好きです。(ヘビーシューズにくらべ)より自由だし、ソフトシューズは滑りにくいので、ステージでより大きく動くことができますから。ヘビーシューズ(訳注:音を鳴らすための硬いチップの付いた靴)を履いているときはたいていトゥループがまわりにいて、ある1カ所にとどまっているか、1方向に進むだけですから、あまり自由を感じることはないですね」

それでは、アイリッシュダンス全般に関してはどうですか? あなたにとってアイリッシュダンスでいちばん美しいところは?

「女性ダンサーでは、伝統的なステップであるrockでしょうか。これは足首の柔軟性を見せるものです。脚をターンアウトする(外側にひねる)ことがとても大切で、それができていないと、とても眠たい感じのダンスになってしまいます。だからとてつもなく練習しないとダメです。特にリードダンサーのスカートはとても短いから、脚の動きがすべて見えますしね」

どのような経緯でShannon(訳注:ブロードウェイ公演を担当していたカンパニー)からLiffey(訳注:2003年のアジアツアーを担当)に移ったのですか?

「私はブロードウェイ公演ではアンダースタディで、その後Liffeyに「プリンシパルアンダースタディ」として異動になったんです。だからもし、Joanneが病気になったりけがをしたりしたときには、そのまま私がプリンシパルになります。つまり私にとってはLiffeyに来ることは昇進だったんです。私はとても長い間アメリカツアーをしたあと、さらにブロードウェイで1年半も過ごしたので、Liffeyでヨーロッパを回るのはとても新鮮な感じですね」
(訳注:彼女はオリジナルのカンパニーが2つに分けられた際、Leeカンパニーの一員としてアメリカツアーに参加し、その後LeeがShannonに形を変えたときもShannonに残った)

観客から見たときに、カンパニーにはそれぞれ独自のスタイルがあるような気がするのですが。

「それはスタイルの違いじゃないんじゃないでしょうか。それよりもステージのサイズのほうが影響が多いと思います。たとえば、ブロードウェイ公演はとても小さなステージでしたけど、Liffeyは大きいステージ用に作られているとか」

会場による、と?

「そう。Liffeyはアリーナ会場で上演することが多いですけど、アメリカではもっと小規模の劇場で上演します。トゥループメンバーはカンパニーの間で移動しますから、スタイルが違うとは言えないんじゃないでしょうか。ダンサーが別のカンパニーと入れ替わるので、ダンスキャプテンがしっかりスタイルを守っていると思います」
(訳注:つまり、カンパニーがそれぞれ独自のスタイルでやっていたら、異動するダンサーがたいへんだから、そんなに違うはずがない、ということ)

カンパニーを移るのは、人間関係的にたいへんじゃないですか?

「人間関係という面では私はとても運が良くて、Liffeyにはショーの立ち上げの頃からの人が大勢いるんですよ。オリジナルのカンパニーが分割されたとき、みんなはLiffey、私はLeeに入ったけど、みんなとは連絡を取り合っていたから、そんなにたいへんじゃなかったです。ほとんどみんな知り合いですから」

今年の夏、ニューヨークでダンスの講師をしましたよね。ワークショップだったんですか?

「元Lee Companyのダンサーとミュージシャンがダンスキャンプを立ち上げたんです。4週間から5週間にわたって開催されて、毎週4人の講師を呼んで、子どもたちに教えてあげるんです。いや、教えてあげるっていうか・・・みんな踊り方は知ってるんです。そのステップをすこし磨き上げてあげるんです・・・基本に忠実にね」

教えるのは面白かったですか?

「ええ、とっても! 子どもたちがすごく元気で、びっくりしました。最初のクラスは朝の9時10分前から始まって、全部のクラスが終わるのは夕方の6時くらい。その時点で教える私たちは疲れてしまったんですけど、子どもたちは夜の9時くらいまで、その日に教えたことを練習しているの! 生徒は7、8歳から16歳くらいで、初心者もいれば、競技会で上位に行っている子もいましたね」

セミプロくらいの?

「プロではないけれど、若くて、レベルが高い子たちでした。私たちがいまやっていることに、小さい子どもが挑戦しているのを見るのはとてもいい経験でした」

残念なことに、ユーロビジョンに参加した中でいまでもRiverdanceに残っているダンサーはほとんどいませんよね?

「ええ、私が最後のひとりですね」

あなたはまだ若いですし、ファンも多いですよね。まだまだ踊っているあなたを見ていたいんですが、来年、Liffeyの次のカンパニーに入るのでしょうか?

「ええ、Avocaに行きます」

そこでの当面の予定は?

「1月からリハーサルに入ります。あとは特に決まってないですね」

Riverdanceを離れるとしたら、そのあとは何がしたいですか?

「眠りたい!(笑)・・・ええっと、そうですね、まだいろんなところを旅して回りたいですね。いろんなところに行ったけど、まだ行ってみたいところがいくつもあるんです。そのあとは、大学に戻って、理学療法とか、体育学とか、そういう関係の勉強がしたいと思ってます。こういう仕事をしていると、身体がどんなふうに動いているか、理学療法士の人とか、マッサージの人にいろんなことを教えてもらえるんですけど、そういったことにすごく興味があるんです。だからもう少し勉強できたらいいなって」

じゃあ、しばらく休養したあとで、自分のカンパニーを作ったり、新しい作品を作るようなことに興味はありませんか?

「うーん、まだそういうことを考えたことはないです。教えることはもっとやってみたいかな」

次はとても大きな質問ですが、あなたにとってRiverdanceとは何ですか?

「ずっとRiverdanceの中にいたから・・Riverdanceの中で育ったようなものなんです。新しくカンパニーにやってくる人たちが「ものすごく生活が変わったなあ」って思うみたいなんですけど、私にとってはずっととても心地いい場所で・・・生活そのものというか、普通のことなんです。逆に家にいるときのほうが普通じゃないような感じがするくらいなんです。新しくカンパニーにやってくる人たちには、生活がひっくり返るみたいなものらしいですけど、私にはこれが最高なんです。
Riverdanceはたくさんの道を開いてくれて、たくさんのチャンスを与えてくれました。世界中を旅して、行きたかったところに行けます。アメリカ、オーストラリア、メキシコ、ヨーロッパ・・・25歳で、こんなに世界のいろんなところに行けるなんて、なかなかないことでしょう?」

あといくつか、具体的なことを質問させてください。
影響を受けたダンサーは誰ですか? アイリッシュに限らず、バレリーナやロシアンダンサーでもいいのですが・・・。

「バレエは大好きです。あの優美な動きには驚くばっかりです」

誰か特定のダンサーはいますか?

「特に誰ということはないです。グループで踊っているとき、全員で同じ動きをしているのを見たりするのが好きなんです。脚の動きも(アイリッシュとは)全然違って、私たちが着地するときはまっすぐ降りますけど、バレエだとひざを曲げて着地しますよね。スタイルが違いすぎて、あれをアイリッシュダンスでやるのは難しいですけど、ほかのダンスにはとても興味があります。スパニッシュダンス・・・フラメンコなんかも面白いですよね」

Riverdanceのショーの中で好きなパートは?

「『Riverdance』ですね。音楽がとても静かに始まって、エンディングにはすごく盛り上がって、あの曲はいまでもドキドキします。お客さんもあの曲が大好きで、客席が盛り上がってくれると、それが私たちにも伝わってきて、最高の気分になれるんです」

ダンスシューズについてなにかご意見やコメントは?

「ダンスシューズかぁ・・・うーん、あんまり履き心地よくないですよ(笑)。ヘビーシューズ(ハードシューズ)はFay's、ライトシューズ(ソフトシューズ)はBlerneyを使ってます」
(訳注:別にこのメーカーの悪口を言ってるわけではなくて、普通人である私たちに対して、ダンスシューズを普通履きにしたら大変よ、というようなジョークであります。念のため)

どんな音楽が好きですか?

「聴く音楽はいろいろですね。Frank Sinatraが好きなんですよ。すごいファンです」

ヘアスタイルが素敵ですよね。その髪型をキープするのたいへんじゃないかと思うんですが・・・。

「全然!」

え、特にセットしなくてもそのまんまなんですか?

「そう、そのまま。だから時間もほとんどかからないです。洗ったり、乾かしたりも」

ウィッグ(付け毛)の人もいますよね?

「あれはね、照明が当たったとき、光を反射して輝くんですよ。前髪をあげてピンで留めて、その上からヘアピースを付けるんです。そうするとステージに上がったとき髪の毛が豊かに見えるし、毎晩髪にいろいろ(整髪料とか)付けなくてもいいしね。ウィッグを使わず、髪をストレートにしてる人はたいへんですよ。毎日乾かして、のばして、スプレーして・・・なんて、髪に良くないですもの」

街から街へ移動する生活ですけれど、そんな中でコンディションを保つ秘訣は何ですか?

「私の場合は・・・ダンスの合間に、たとえばバンドが演奏している時とか、歌の間とかに、ウォームアップフロアに置いてあるエクササイズバイクとかを使います。ずっと脚を温めておいて、動きやすくしておくんです。

休みの日までジムに行きたいとは思いませんね。それにいま中国と日本に来てるわけですし。中国と日本には来たことがないから、観光に行くとか、なにか変わったことをしたいです」

日本ははじめてなんですか?

「ええ」

どんな印象ですか?

「とてもいいところですね。東京には2週間いられるので、とても楽しめました。リラックスしたり、いろんなものを見たり。今日は築地の魚市場に行きました。ふだんできないようなことをしてます。この2週間いろんなことをしました」

日本の観客はどうですか?

「とっても素晴らしいです。ほんと最高! 昨日(11/12)のお客さんはとても盛り上がってくれて、感激しました。すこし疲れているときでも、お客さんがほんとうに楽しんで、反応してくれると、こちらからもそのエネルギーを返せるんです。そして私たちにとっても楽しいステージになるんです。あと客席の中にもアイルランドの旗がはためいているのが見えて(笑)、あれはすごかった」

お忙しいところどうもありがとうございました。


後記:
ツアーの真っ最中ということもあって、このインタビューはなかなか日程が決まらなかったのです。当事者との間にいくつかクッションが入っていたので、小回りもきかず・・・。
結局、直前になって時間が決まり、場所の用意もできないまま、ホテル内のパブで、Susanさんが国際フォーラムに向かう前のほんの30分くらいの間にインタビューは行われました。

お店の中なので撮影は不許可。上にある写真は帰り際に店の外でちょこっと撮らせてもらったものです。時間もなく、各質問をこなすだけで精一杯だったので、いま内容を見るとツッコミが足りないと自分でも思うのですが、どうかご勘弁を。

謝辞:
今回この企画にあたっては、リバーダンスオフィシャルのSineadさん(とスタッフの方たち)、Celtic CafeのBernadetteさんにお世話になりました(原文はCeltic Cafeに掲載されます)。

また、そもそもトントンさんのアイデアと熱意、調整の努力がなければこの企画そのものが存在しませんでした。いい経験させていただきました。ありがとうございます。

そして何より、本番前にあわただしく押しかけた素人の質問に、ていねいに答えてくれたSusanさんに大感謝です。