海外記事翻訳:Julian Erskineインタビュー

Jan. 20, 2004
posted by moriy
原文掲載サイト:New Straits Times
原文ページURL:2003年10月18日付けの記事なのですが、Not Foundになってしまいました。10/21にはCelticCafeRIVERDANCEでも配信されてました。
一次翻訳:moriy
翻訳チェック&コメント協力大感謝:熊谷さん、トントンさん、けいとさん

ピープル:アイルランドの踊るカリスマ

10/18:「Riverdance - The Show」の上級エグゼクティブ・プロデューサー、Julian Erskineが、よりセクシーで、より自信に満ちたアイルランドのイメージを描き出すというプラン(訳注:Riverdanceのこと)が、どのようにしてヨーロッパへ、そして世界へと羽ばたいていったかを語ってくれた。 FARIDUL ANWAR FARINORDINがレポートする。


アイリッシュダンスの一大エンターテインメントである「Riverdance - The Show」。120名を超える出演者やスタッフに、大掛かりなセット、凝ったステージ装飾や衣装を抱えたこのショウが、国から国へと公演を続けていくには、とてつもない費用が必要となる。

この作品は2つのカンパニーによって公演が行われており、そのひとつであるLiffey Companyの公演が、クアラルンプールのBukit JalilにあるStadium Putraで開催される予定だが(訳注:2003.12.12より)、これにはなんと130万RM(マレーシアリンギット=35万ドル)というコストがかけられている。
(Liffey Companyはアジア・太平洋地域の公演を担当。もうひとつのカンパニーであるBoyne Companyはアメリカ・ヨーロッパを担当している。)

「この地域(訳注:中国・日本・東南アジア)で行う1週間から10日間の公演では、移動のコストだけでチケットの販売額を上回ってしまう」このショーの上級エグゼクティブ・プロデューサーであるJulian Erskineは、先日のインタビューでこのように答えた。彼はこの国での初の公演を可能にしてくれたスポンサーに感謝している、と述べている。

「Riverdance - The Show」は、IMG主催、Astro社、Light & Easy社、The New Straits Times Press、The Renaissance Kuala Lumpur Hotel、マレーシア航空およびキヤノンの提供で開催される。
この作品は、プロデューサーMoya Doherty、演出のJohn McColgan(この二人は夫婦でもある)が設立したAbhann Productionsによって制作された。

「来年には新しく、小規模なカンパニーでの公演が始まるので、より小さい会場での公演も可能になるだろう」Erskineはそう語った。

「一晩の公演で7000枚のチケットを売るのはとても大変なことだ。もし2000席程度の会場で開催できるようになれば、コストも下がり、より多くの場所でショーを開催することができる」

現在までに、観客動員数は18の国で1600万人に達している。「ショーの終わりにスタンディングオベーションをうけるのはとても気分のいいものだ。私たちにとって、Riverdanceとはアイルランドの伝統文化だけではなく、アイルランドという国そのものを意味している」

彼は回想する:「東京での初日(訳注:1999年3月の初来日初演時)はとても特別な体験だった。それはアジアの観客の前での最初の公演だったからね。彼らは公演中とても静かで、私たちは怖くなった。『とんでもなく嫌われてしまっているんじゃないか』とね」

「しかしショーの終わりになって、彼らは爆発したように立ち上がり、大きな拍手をしてくれた。・・・そしてそれは止まらなかった。とても素晴らしい瞬間だった。あとで聞くと、観客は公演を観ながらとても感動していたのだが、彼らはとても礼儀を重んじるので、ずっと静かにしていたのだという。彼らはその拍手を最後まで取っておいてくれたんだ」

「Riverdance - The Show」は、感動のジェットコースターのようなもので、観客の心の琴線を揺り動かし、文化的な壁を越えるものだと彼は言う。

「多くのシーンで、経済的・政治的理由で外国に移民していったアイルランドの人々の歴史が描かれる。『American Wake』という演目は、故国を永遠に離れてしまう人々の別れの情景を表しているが、これはとても感動的だ」

しかし、Riverdanceのもともとの制作意図は、「新しくて、もっとセクシーで、自信にあふれたアイルランドのイメージを描き出すこと」だったという。「そこにアイルランドの歴史を組み入れて、現在のショウへと発展させてきたんだ」
「昔は、みんなアイルランドのことを『ぼんやりして、眠そうな国で、田舎道をロバが歩き、人々は伝統衣装を着ている』と思っていた。わたしたちがまずやりたかったのは、ヨーロッパ中に新しいアイルランドの存在を伝えることだった。U2やクランベリーズといったバンドや、リーアム・ニーソンやガブリエル・バーンなどの俳優のような、本格的なアーティストが生まれている場所であることをね」

アイルランドがホスト国となり、国営放送局であるRTÉによって中継された1994年のユーロビジョン・ソングコンテストで、ヨーロッパはこのアイルランドの存在に気づかされることになった。このコンテストの幕間で、Riverdanceの7分間のパフォーマンスがはじめて世の中に姿をあらわしたのだ。

「(Riverdanceの)着想は、その当時TVプロデューサーであったMoyaのものだ。彼女は番組の合間をうめる演目を探していた。彼女はアイリッシュダンスを紹介したかった。それまでアイリッシュダンスはアマチュアが互いに競い合うだけの、趣味のためのもので、ダンサーはごてごてと飾りを付けた衣装を着ていた・・・男の子はスカートをはき、女の子は派手な色のドレスを着ていた」

彼はDohertyが「衣装をなくしてしまいたい」と考えていたと言う。そして彼女は派手な衣装の代わりに、男性ダンサーには黒くて細いズボンを、女性には短くてセクシーなドレスを着させた。「つまるところアイリッシュダンスは脚の動きなんだから、脚が見えた方がいいと彼女は考えたんだ」そのアイディアは(訳注:「Riverdance」という形で)瞬く間にヨーロッパ中を魅了した。

「翌年11月(実際には翌年2月)にダブリンで初演を行い、その後ロンドンに行った。そしてその次はニューヨークのブロードウェイだ。すぐに3つのカンパニーでツアーするまでに成長した。この間私たちはじっくり計画的に物事を進めていたわけじゃない。まったく、自然にそうなってしまったという感じだった」

なにか悪い経験はしましたか?

「最悪だったのは、ダブリンの家にいたとき、朝の8時に電話が鳴って、マドリッドの公演会場が火事になったと聞いたときだ。私はすぐにテレビをつけて、自分たちの会場が燃えているのを見た。私は直ちに空港へ向かい、マドリッドへ飛んだ」

「それは屋根の穴を溶接機を使って修理しているときに起こった。建物の内側はすべて木でできていて、修理工たちは屋根の上にいる間に、知らないうちに内側の木に火をつけてしまったんだ」

「ヨーロッパツアーの最後の訪問地に着いて、早めに舞台の設営を終えていたところだったのだが、その火事ですべてを失うことになってしまった。40フィートの大きさのトラック14台でツアーに出発したんだが、戻ってきたのは2台だけだった」「12台分のコンテナを失って、160万ユーロもの損失になった」

もう一つ忘れられないのは、と彼は言う。「オーストリアのインスブルックで、出演者が転落事故を起こしたときだね。あのときは次の月曜日に再演することにして観客に帰ってもらった」

「あの日、たまたま昼間に清掃業者が入って、楽屋の床をワックスで磨いていったんだ。それで衣装部屋に出入りするダンサーたちの靴の裏にワックスが付き、彼らはそのままステージに出て行くことになった」

「アイリッシュダンスで使う靴の裏というのは、革とグラスファイバー(音を出すために)でできている。グラスファイバーでできている部分は踊っているうちにだんだんつるつるになってくる。そういう靴にワックスがついたのだから、まったく悲惨だった。彼らは歩くことさえできなかった。踊るなんてもってのほかだった!」

「翌日、私たちは楽屋の床のワックスをこすり落として、上からゴムのマットを敷いた。いまでは必ず会場の床にワックスがかかっていないか確認するようになったよ」

ショーの技術的な面について、Erskineはダンサーの群舞の際のタップ音が、あらかじめ録音された音で強調されていることについて語った。

「アイリッシュダンスはもともと競技会で踊られていたもので(訳注:ここでいう「もともと」は「伝統的なもの」というより、ショーダンスの元になったモダンステップのことを指している)、ダンサーは一人ひとり自分のダンスを見せる。しかし36人ものダンサーが一斉に音楽に合わせて踊ろうとした場合、全体では雷のような大音量になるので、その中で自分のタップ音と音楽とを聴くのは非常に難しい」

「彼らのタイミングを合わせるため、一度彼らが踊っている音を録音して、ステージの上で(つまり上演中に)それをスピーカーから流すようにした。そのおかげで、ダンサーは自分たちのタップ音を、大きくはっきりした音で聞いて、それに合わせて踊れるようになった。この音がないと、彼らはテンポを見失ってしまうんだ。一方で、プリンシパルダンサーの靴にはマイクがついていて、そのマイクが拾った音は、彼らが身につけている小さなベルトパックの中にあるトランスミッターを通じてPAに流れる」

将来のプロジェクトについては、Abhann Productionsが『The Pirate Queen』というミュージカルを制作していることを彼は明かした。

「ストーリーがあって、なおかつ興奮させるものであるという点で、それは『レ・ミゼラブル』と『Riverdance』の融合といえるね」と彼は言う。18世紀に実在したある有名な貿易商の娘を、真にアイルランド的な女性像としてこのアクションと冒険に満ちたミュージカルは描くという。
(訳注:The Pirate Queenの話の元になった人は、おそらくGrace O'Malleyのことだと思います。16世紀の人ですが、このあとスペインとエリザベスI世の話が出てくるので、Julianさんが「18世紀」といっているのは勘違いでしょう。参考:Notable Women Ancestors

彼女は父親の大きな帆船でスペインとの間を行き来するうちに、ついに海賊となり、エリザベスI世の時代に、英国のアイルランド支配に抵抗する有力なリーダー(chieftain)となる。彼の息子が捕らえられ、ロンドン塔に幽閉されたとき、彼女はロンドンに行き、女王に取引を申し出る。

プロジェクトの詳細は明かされなかったが、Erskineによると「『The Pirate Queen』の音楽は半分できあがっていて、上演は2005年になりそうだ」とのことだ。